手になじむ道具

手元の写真のストックが切れているので,久しぶりに So-net 時代の「につき」のような書き込みを... 親ばか写真や花の写真を期待してた人,ごめんなさい。

最近,某テクニカル系ウェブサイトに連載を持っているのだけれど(ユーザー登録が無いと見られません),次回の締め切りが一応今週末。昔から追いつめられないと仕事をしないタイプなので,今日からやっとこさ重い腰を上げて一挙に書き上げようとしたら...

書けない。

なんだか,気分が乗らないのだ。エディタを立ち上げて数行タイプするものの,直ぐに指が(筆が?)止まってしまう。

なぜだ?

理由をしばらく考えた。コーヒーすすりながら考えた。べつにサボっていたわけではない。頭はさぼっていたけれど,かたなしさんが差し入れてくれたマウナロアのマカデミアナッツをむさぼる指と口は立派に働いてた。

理由は,エディタにあった。仕事のために泣く泣く使っている Windows のエディタが,僕に仕事をさせないんである。断わっておくが,僕は Windows に Meadow を入れて,きちんと Emacs 環境が使えるようにしてある。そして,記事はその Meadow の上で書き始めたのだ。

でも違うんである。

Mac OS X の Terminal.app 上の Emacs と, Windows の Meadow は似て非なるものなのだ。機能は同じだろう。コントロール・キーの位置さえあわせれば,まったく同じタイプ環境ができあがる。でも,何かが違う。

というわけで,今日はさっさと早退して家に帰ってきた。別に仕事が暇だからとか,つまんないからではない。家の Mac OS X の Emacs だと気分が乗るかどうかを調べるのが火急の課題となったからだ。それがそんなに大事なことか? 大事なことなんである。システムが動かずに怒り心頭のお客さんを放っておいても解決せねばならない問題だ。早速家の iBook をスリープから呼び覚まし, 常駐している Terminal.app の画面に emacs -nw と打ち込んで,書かねばならない連載の出だし部分を書いてみる。

おぉ。スラスラ進む。筆が(キーが?)スラスラすすむではないか。考えていないことまでも深層心理を読み取って文字がディスプレイに並んでいく。眠くて左の薬指が気づかないあいだに S キーを押し続けていたせいでは決してない。きっとない。

繰り返すが Meadow と Emacs では機能に差はない。キーバインディングも同じだ。何が違う?

たぶん, Unix の眷属と Windows に対する愛情に差があるんだろう。そう思ったのであった。

はい。オールドタイプなんですな。僕は。れっきとした。見た目や機能が同じでも,深層の部分で異なる何かが僕を Mac OS X に縛り付けているのだ。手になじむ道具とは,こういう境地に達したものをいうのであろう。

今日の一言。

Meadow とは違うのだよ,Meadow とは。

P.S,

べつにどこのお客さんもトラブってませんので,念のため。

by melekai | 2005-10-11 20:33