カテゴリ:鎌倉・今昔記( 5 )

桜... でも。

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関東地方ではソメイヨシノが盛りだが,生来がアマノジャクな性格なので違う桜を撮ってみたりする。

芝桜,花忍科
[和名] シバザクラ
[学名] Phlox sublata
[英名] Moss pink

OLYMPUS E-1 + ZD 50mm F2.0 Macro
MF, 絞り優先,F=2.0, S=1/2000s, ISO=200, AWB, 中央重点測光

鎌倉市浄明寺

by melekai | 2006-04-04 01:09 | 鎌倉・今昔記

おらが国の殿様は

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頼朝の墓から東にすこしばかり外れたところにこの階段がある。普段あまり人の訪れない静かな場所で,ときおり迷った観光客が石組みの果てに何があるのか,不思議そうに窺っている。

僕が生まれ育った山口県は廃藩置県のまえは長州藩で,殿様は毛利氏だった。毛利氏はもとは安芸の吉田の地頭だったが,戦国時代に中国地方の大半を版図におさた。毛利氏がやってくるまえ,山口は大内氏が隆盛を誇っていたが,大内義隆の時代に家臣の陶隆房(のち改名して晴賢)に討たれ,その陶氏は毛利元就によって滅ぼされた。毛利氏は大阪より西では島津氏と並ぶおおきな軍事的勢力となったが,関ヶ原で徳川方に負けて周防・長門の二ヵ国に封じられた。

僕が子供の頃学校で習ったのは,ここまでである。毛利氏は現在の広島県の吉田郷に興った。では安芸吉田で歴史の表舞台に現れる前,彼らはどこにいたのか?

現在の神奈川県厚木市周辺にいたらしい。

話は戦国の世から鎌倉時代に飛ぶ。

源頼朝が幕府を鎌倉に開く前,事務方の仕事を統括させるために京都から大江広元という公家を呼んだ。大江広元はよく頼朝に仕え,やがて厚木周辺の土地を拝領した。大江広元の息子の季光という人物が実際に厚木まで下り,治めたらしい。当時厚木周辺は毛利と呼ばれていて,季光は毛利氏を名乗った。

時代が下って室町中期に毛利氏は安芸の国の吉田郷の地頭となり,移り住んだらしい。

教科書は時代を輪切りにして教えるので,歴史の縦の流れが往々にしてわからない。毛利氏の祖が頼朝に仕えた幕府のいわば事務総長たる大江広元という人物だったと,どのくらいの山口県人が知っているのだろう。

ぼくにとっては「おらが村の殿様」の祖にあたる大江広元の墓が,写真の階段の尽きるところに今でもひっそりとある。頼朝の墓のように観光客や参拝客で賑わうことも無く,忘れられたように暗い森の中にひっそりと眠っている。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8 - 3.5
AF,絞り優先, f=45mm, F=3.4, S=1/250s, ISO=100, AWB, 評価測光

鎌倉市西御門

by melekai | 2006-02-25 17:26 | 鎌倉・今昔記

義経

NHK の大河ドラマの「義経」。そろそろ物語りをたたみに入った感じがする。

「律令政治を行う公家と,武家の出身でありながらその公家に取り込まれた平氏宗家」 vs 「武士による武士のための政権の樹立と独立を目指す関東武士団」という対立軸で平安末期の動乱に臨んだ頼朝。あくまで平氏宗家対源氏宗家の勢力争いという対立軸でしか物事を理解できなかった義経。過去放映分の頼朝に「義経は何故にもう少しわきまえられないのか」と言わせたりしたものの,何故にこの兄弟が対立したかを鮮やかに描ききることはやっぱりできなかった,ような気がする。頼朝が何を目指しているのか,それを伝えきれていないからだろう。まぁ,難しいテーマだと思うけれどね。それに,これは義経の物語だし。

しかし,伊豆に流罪にされて子分が一人もいなかった頼朝が最終的に幕府を樹立するまでの戦いのほうが,よっぽど義経の「平家追い落としとその後の転落」の物語よりもスケールが大きくて面白いと思うのだけど。まぁ,陰謀だのたくらみだの難しい話より,合戦の勇壮さを単純に伝えたほうが視聴者受けがいいのかもしれない。

… その割には,壇ノ浦の合戦シーンとか案外安っぽかったんだよなぁ。あれじゃあ,阿部ちゃん演じる平友盛の一人舞台。

来年は何やるんだろう。このまま,北条政権崩壊から室町幕府樹立までをやったりして。

by melekai | 2005-11-07 15:09 | 鎌倉・今昔記

みなぞうくん,逝く。

(新旧含めて)江ノ島水族館の人気者,みなぞうくんが逝ったとのこと。一度も会わずじまい。合掌。

by melekai | 2005-10-05 08:42 | 鎌倉・今昔記

頼朝

母方の先祖を辿ると,どうやら源平合戦で落ち延びた平家方の武士だったらしい。
で,(まったくもって嫡流ではないにしても)その子孫が鎌倉に住むのはいかがなもんか,と冗談のネタにしていたのだった。

ところで,頼朝は清和源氏といって,清和天皇のころに臣籍降下した氏族だそうな。その頼朝の奥さんはあの有名な「北条政子」である。鎌倉に引っ越してくるまで,伊豆には先祖代代「北条家」があるのだと思っていた。ちなみに戦国時代の「北条早雲」は鎌倉時代の北条家とは縁もゆかりも無い。

平安後期や鎌倉時代は土着した土地の名前を本姓の代わりに名乗ることが多かったそうで,たとえば新田義貞は源義貞だし,木曽義仲は源義仲が本名,ということになる。頼朝が幕府を立ち上げてからは,実権を伴うかどうかは別として将軍職は源性,ということになった。頼朝の血脈が途絶えた後幕府の実権を握った北条氏は将軍になっていない。足利氏は足利にいた源氏だし,信長は将軍になる前に倒れた。例外は秀吉で源氏とは縁もゆかりも無い。徳川家康は新田氏と縁故がある(家計図をでっちあげた,という説が有力)として源氏棟梁になったあと,征夷大将軍になっている。

話を北条政子に戻すと,この人の本名は平政子とのこと。つまり,平家一門だった。ひとことで源氏・平家といっても,源氏には清和源氏をはじめとしていくつかの流れがあるように,北条家が平清盛と同じ桓武平家の流れかどうかは僕は知らない。でも,平家追討の主力となった三浦氏・北条氏などが軒並み平氏だったことを考えると,頼朝による大倉幕府設立に先立つ動乱は源氏と平家という二大武家勢力の対立という単純な図式ではない。

ところで頼朝といえば,NHK 大河ドラマの義経である。判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉があるように,日本人の大半は悲劇のヒーロー・義経が好きで,そして平家を滅ぼすために義経を利用しつつも最後には義経までをも滅ぼした頼朝が嫌いなのだそうだ。

鎌倉幕府の成り立ちと頼朝が成し遂げようとしたことについて書かれた本を数冊読めば,この日本人の感覚がいかに間違ったもので,頼朝に対する評価が不当なものかがわかる。義経は,戦術には長けていたので平家を滅ぼすことができたが,しかし最後まで頼朝が何をなそうとして平家を滅ぼそうとしていたのかを理解することが無かったといわれる。

ということで,今後頼朝と義経が対立していく過程の中で大河ドラマが頼朝の苦悩をどのように描くか,興味を持って見守っている。「信頼していた血縁上の兄に裏切られた悲劇の弟・義経」という扱い方だけはして欲しくない。義経が頼朝に討たれなければならなかった理由。その難しい部分をどのように描ききるか。役者に中井貴一を選んでいることから,このへんのところはうまく描いてくれるのだろうと期待している。

NHK のお手並み拝見。

by melekai | 2005-07-14 14:36 | 鎌倉・今昔記